吃音&AT第2回
吃音&AT第2回です。
今回ご紹介する部分では、F.M.アレクサンダーは吃音に対してアレクサンダーテクニークを
使う過程を細かく技術的に述べていきます。
その中で、「正しくやろう」という気持ちがいかに吃音の隠れた原因となる緊張を引き起こしているかが
浮かび上がっています。
「正しくやりたい」という誰しもが持つ衝動的な気持ち。
それが「うまくいかなくさせるパターン」のきっかけになっている。
ある結果を求めて衝動的に動く、その無意識的なパターンの連鎖を根気よく
見つけ出し、ひとつひとつ置き換えていく。
パズルのようなゲームのようなそんな見事なコーチング過程が見えます。
その中で、F.M.アレクサンダーは「人間は全体がお互いにバランスを取り合うひとつの有機体」であること
を念頭に進める事の重要性を強調しています。
それでは、どうぞ。
内容に質問や疑問があれば、
いつでもご遠慮なくbasil@bodychance.jp までメールを下さい。
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9 わたしは、彼に次のことを与えることから始めました。
(1)必要以上の緊張を伴う習慣的で誤った使い方を抑制するための方向性habitual use)
(2)プライマリコントロール――適正な筋肉緊張を伴う改善された新しい使い方をもたらしてくれるもの――を使うための方向性
10 彼にこれらの方向性を出す(project)ように指示し、手を使って、これら方向性に対応する新しい使い方の感覚体験(new sensory experiences of use)を与えました。
彼が自分のメカニズムの使い方の感覚認識(sensory appreciation)の信頼性を徐々に回復していき、やがては、話すことに適正な緊張(吃音のときに起こる過度の緊張とはまったく異なっています)が分かるようにです。
11 新しい使い方の感覚体験を十分に繰り返し、話すとき、特に難しい子音を発音するために、彼が新しい"ミーンズウェアバイ"を使えるまでなった、とわたしが判断するまでこれを続けました。
12生徒をこの段階に至らせるためのさまざまな教師の技術について、ここに詳細に記すことはスペースの関係でできません。
何が必要か、どれほど困難であるかについては、生徒によって異なり、当然それに対するテクニークも違ったものになるからです。
でも、読者が、新しい"ミーンズ ウェアバイ"を朗誦に初めて使おうとしたときにわたしが出会った困難の説明を読んでいたならば、「頑固な"エンドゲイナー"だった。」と生徒を言う時に、初めからいかに難しいものであったかを理解することでしょう。
13 わたしたちが一緒にワークし始めたこの新たな段階の最初に、エンドゲイニングと"正しくしよう"とする習慣が、これまでの進歩をいかに邪魔してきたかについて考えてもらいました。
そして、それらをやめることができなければ、新たな"ミーンズウェアバイ"を話すときの障害に対して使えないだろう、と忠告しました。
難しい単語を発音しようという重要な瞬間に、依然として直接的に結果を求めて、彼にとって"正しいと感じられる"方法でその単語を言おうとするならば、話すときの前の習慣的な使い方に戻ってしまわざるを得ず、それは吃音させてしまうからです。
14 生徒にとって、この警告を実際に取り入れることがいかに困難かを、後の出来事が示しています。
ある音や単語を声に出すようにわたしが指示するたびごとにその音や単語を発音しようという試みを拒否し、目的のために最善と決めた新しい方向性を考えてそれを使う(think out and employ)ことに時間をかけることで、その要求に対する前の習慣的な反応を抑制することをわたしは繰り返し促したのです。
彼はこれに同意しますが、わたしが何らかの音や単語を声に出すように言うと、声からの刺激への反応を抑制することができずに、使うように指示された新しい方向性のことは全て忘れて、直ちにその音を出そうとしてしまうのです。
その結果、彼はすぐに前の使い方の習慣に支配されてしまい、彼には正しく思える極度の筋肉緊張を起こし、以前と同じひどい吃音をしてしまうのです。
15 わたしが教えてきた中で、刺激に対して余りに性急に反応してしまう習慣を持った吃音者の誰もが、その感覚認識は信頼できなくなっていて、余計な筋肉緊張があり、エネルギーが誤って方向づけされています。
その上、この生徒の場合は、吃音を"治療(cure)"するために前の先生が使った方法により、直接的に結果を得ようとすることとそうしながら"正しく感じ"ようとすることを訓練してしまっていたのです。
16 吃音をある部分だけの(specific)欠陥として扱っている――それが従来の方法であるか、新しい方法であるかは問題ではありません――先生が指示するどの訓練も、その根底に"エンドゲイニング"原理があるように見えます。
例として、TとDで始まる単語の発音に問題のあるわたしの生徒に対して与えられた練習を取り上げましょう。
17 前の先生は、彼の舌と唇の使い方がこの2つの子音を発音しているときに良くないことに気づきました。
そして、障害をなくすために、TとDを言う時、それら特定部分をどう使うかという練習を指示しました。
18 実は、この方法は障害を悪化させるだけです。
TやDを言うというその考え自体が、舌と唇の間違った使い方を伴う習慣的な使い方をさせてしまう誘因(incentive)として作用するからです。
この誤った習慣的な使い方が変わらない限りは、その間違った使い方は残り、彼はこの誘因から逃げるチャンスはないのです。
そのため、この状況下で、彼に吃音を直すためにTやDを言うことを練習することを指示するということは、吃音するためのさらなる誘因を与えることに等しいのです。
19 これは、彼がその練習を実際にやって見せてくれた時に、わたしが観察したことから考えたことです。
わたしはじっくりと彼のことを観察しました。練習を始めるや否や、すぐに全体的な緊張を起こし、その次に唇や頬、舌の筋肉の緊張度を増していき、TとDを発音しようとすることを見ました。
舌を目的のために最適な位置に持ってくる前にです。
この試みが失敗せざるを得ないのは、車の運転手が、クラッチの歯が正しく噛み合う位置に来る前にギアチェンジを行うことと同じです。
それまでの全ての練習で、彼は成功という結果のための手段(means whereby this could be successfully gained)に取り組む前に、直接的に結果自体を得ようとしてきたことは明らかです。
それらの試みの大多数が失敗に終わったことが自信を失わせ、彼が"エンドゲイニング"の習慣を打破することをさらに難しくしてしまうのです。
20 わたしが知る限り、吃音を"治療(cure)"しようという方法は、細部では異なってはいても、全て"エンドゲイニング"原理に基づいています。
助言者達は、ある特定の症状を取り上げ吃音の原因とみなし、吃音者を助けようとして部分に対する(全体的でない)指示や練習を与えるのです。
21そのような方法でも吃音をやめさせることができることを、わたしは良く知っています。
でも、だからといって、それが真の"治療" (genuine 'cure')で、効果をもたらしたのだ、という普通に思われている考えは疑問です。
なぜなら"治療"がなされたと言われているケースで、話し方におかしな所があったり、口ごもっているような様子がみられるからです。
その上、"治療"の開始時にあった余計な筋肉緊張と、エネルギーが誤って方向づけられていて感覚認識が信頼できない状態が、"治療"が成功したとみなされているにもかかわらずまだはっきり見られることに、関係者は少しも不安に思わないようなのです。
22 ある症状を取り去る過程の中で、他の症状が残っていたり望んでいない新しい症状が現れたならば、その"治療"法は有効とも科学的とも認められないでしょう。
この基準を、前述の方法で"治療"された吃音者にあてはめてみましょう。
最初にあった余分な筋肉緊張や、エネルギーの誤った方向性、感覚認識が信頼できない状態は、"治療"の過程のなかで悪化してしまうことが、実際にとてもしばしば見られるのです。
23 それらの欠陥が再び吃音に戻らすものでない、かも知れないことは認めましょう。
それでも、それはほぼ確実に他の望ましくない症状(それらはたいてい気づかれないままなのです)の悪化につながるのです。
このことは、欠陥や病気を全体を考えない方法で"治療"したときにはいつも起こることです。
そして、とても多くの"治療"が記録されているにもかかわらず、人間有機体の障害は増え続けていて、もっともっと多くの治療が必要になっていることを説明しています。
24 人間有機体の全ての部分に、ワーキングバランス(working balance相互の働きの関連性)があることを覚えておくことは重要です。
このため、どんな活動においても、ある部分(または、いくつかの部分)の使い方は、他の部分の使い方に影響を与えるし、逆も言えます。
本能的な方向性のもとでは、ワーキングバランスは習慣的なものになり、"正しく感じられて"しまいます。
ある部分の使い方の影響がいつ感じられかはさまざまですし、ある部分の使い方の影響の強弱は、その活動を起こさせた目的(結果)からくる刺激の性質(the nature of the stimulus of the end activity desired)によります。
ある部分の使い方の欠陥に気づき、欠陥を直すためにその部分の使い方を変えようとするときに、関係する他の部分の使い方を変えなかったならば、全体の使い方のワーキングバランスが乱れてしまいます。
そのため、関係する他の部分を同時に変えるには何が必要か(それは良いワーキングバランスを作り出し、新しい使い方をしようというときの助けになります)を理解していなければ、次の2つのうちのどちらかが起こらざるを得ません。
(1) "正しく感じられる"習慣的なワーキングバランスの以前の使い方によって結果を得よう、とする刺激がとても強くなってしまい、"間違って感じられる"なじみの無いワーキングバランスを持つ改善された新しい使い方を特定の部分に作りだしたい、という刺激を上回ってしまう。
(2) 他の部分の使い方がさせないようしているにもかかわらず、ある部分の変化を起こしたならば(部分の欠陥を直すときに、全体的でない治療をしたときに良く起こることです)、その部分と他の全ての部分のワーキングバランスは乱れたものになり、この場合は逆に、他の部分の使い方が影響を受け、他の部分の使い方の新たな欠陥を作り出してしまう。
25 指示された練習を生徒が行うのを見た後で、それを行う時に自分の全体的な使い方について前の悪い習慣的な使い方に陥ってしまっていることと、それにより吃音してしまう舌と唇の前の間違った使い方の習慣を実際は強めてしまっていること、を説明しました。
彼が、TとD、さらにその子音を含む単語を吃音することなく自信を持って発声したければ、TとDを発音しようといういかなる刺激に対しても――それが内側からでも外側からのものであっても――、反応することを拒否しなくてはならないことを、もう一度強調しました。
言い換えれば、TとDを発音しようとする考えが起きたときはいつも、正しくそれを言おうとする願いを抑制しなければならないのです。