社会の宝である子どもたちが健やかに育つために今できることを考えていくHPです

Mother Earth Concert vol.5 HOPE~希望~ 東日本大震災・津波遺児支援

About Me

石岡 泉について

宮城県仙台市生まれ。言語聴覚士として仙台市内の診療所に勤務。

Now

難聴の児・者の聴力検査、聴覚管理、補聴器のフィッティングや発達に障碍をもつ児の発達検査、言語検査、接し方のアドバイス、フォロー機関への紹介などを主な業とする。

その傍ら、中国茶とお花をたしなみ、時おり二胡を奏でながら、ウォーキングエクササイズ、リンパマッサージ、ヨーガにいそしむ日々を送っている。

Past

三人姉妹の末っ子として出生。当時両親が共働きだったため、乳幼児期は預けられて育つ。預け先は転々とし、保育所入所までの間、計6箇所にお世話になる。お菓子屋さんに預けられていたこともあり、現在の甘いもの好きはその頃の影響があるのかもしれない。

一番上の姉は努力しなくても勉強、運動、絵画、歌とどれもよくでき、目立つ存在だった。比較されて育ったわけではないが、自分の出来なさは明白で、何においても自信をもてずに過ごしていた。手を挙げたり、人前で話したりするのもドキドキするような緊張の強い子どもだった。

二番目の姉はこれまた特異な存在で、知的障碍と難聴と急な変化への対応のできなさなどを有し、幼児期はよくパニックを起こしていた。そんな姉とは3歳離れているが、何をするのもどこへ行くのもほとんど一緒だったため、わたしはそこで大きな学びをすることになる。

姉は、何か気に入らないことや、急に思いもかけないようなことが起こると所構わず泣き叫び、ひっくり返っていた。言語表現がままならないため、よく癇癪を起こし、物を投げていた。興奮すると叩いたり、髪の毛を引っ張ったりするので周囲とのトラブルは絶えなかった。時に危険が我が身にも及ぶので、避難せざるを得ないこともあった。周りの人たちの白い目を感じつつ、わたしはただその状況を呆然と見ていた。恥ずかしいと思うこともあった。

その当時は自分の知る世界が狭いが故にどうしてわたしの家だけ?と思うことはあったが、そんな生活が当たり前だったので、それを苦と思うことはなかった。

ふつうに学校に通い、ふつうに友達と遊び、ふつうに過ごす日常だった。のんびりマイペースで、それは学校の先生に「お宅のお嬢さんは火事になったら逃げ遅れて死にますよ。」と言わしめたほどだ。

高校は地元の進学校に進み、大学は教育大学で言語障害児教育学を専攻する。

Future

就職してからは、仕事内容、職場環境、私生活においてストレッサー過多で、体調を崩し、服薬せざるを得ない日々を過ごす。そんな中いろいろな出逢いに恵まれ、心と身体が連動していることを体感することになる。呼吸や血液の流れ、リンパの流れの大切さを実感し、身体の声を聴くことがいかに重要かを識る。

自分の身体の凝りに気がつくのに従い、相手の状態が感じられるようになり、ストレッサー過多な親の元で悲鳴をあげている子どもたちがいることに気づく。
親には子どもの心の声に耳を傾ける、その力を取り戻してほしいと願う日々である。

子どもは社会の宝である。どの子どももその子らしく生きられるように、わたしは目の前にいる人が必要とするサポート、必要とすることばをかけることができる人になりたい。

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