みじめな自分と向き合おう!!
最近「心のデトックス」という習い事を始めました。
何をするかは、ここではうまく説明できませんが、今まで押し込めて蓋をしてきた“感情”と向き合うことをやっていきます。
親との関係で、感情の表現が許されない環境で育つと、ありのままのわたしに蓋をして、認められたいという想いでお利口なわたしを演じ始めます。
それは、脳が作り出した作られた自分です。
どうやって開放するのか?
それはみじめなわたし(不安・不満・怒り・孤独)と向き合うことから始まります。
そんな自分を解放していくと同時に、お利口なわたしを解放していくのです。
お利口なわたしは、絵空事、きれい事、他人事を作り出します。
これが消えると、現実的な行動ができるようになるそうです。
それってどういうことか?
思ったことが現実化し、生成していくことができるようになる、ということです。
ただ、そのためには、見たくないと蓋をしていたみじめな自分と向き合わないといけないので、過程は辛いし、キツイです。
それを乗り越えてしまうと、見る世界が全く違ってくるそうです。
なぜなら、自分の人生は自分の精神状態が作り出しているからです。
不安でいっぱいな人には、不安な出来事が降りかかり、怒りでいっぱいの人には怒る出来事が降りかかります。
孤独でいっぱいな人には孤独な出来事が降りかかり、悲しみでいっぱいの人には悲しい出来事が降りかかります。
たのしさでいっぱいの人にはたのしい出来事が降りかかり、喜びでいっぱいの人には喜びが降りかかります。
どれがいいとか悪いではありません。
今の自分の感情をそのままただ味わうだけです。
逃げずに逆らわずに、受け入れるということです。
自分に降りかかる出来事は浄化のためにやってくるそうです。
その時「感情」が出てきたらチャンスです!!
自分に素直に・・・
それは自分自身を喜ばすことでもあり、周りを喜ばすことにもなるようです。
そんな時は、いいも悪いも引きずる感情がないので、あまりにふつうに淡々とした時の流れです。
しかし、自分の心が本当は何を望んでいるかがわからない時は、あれこれ考えてしまうので、苦しいですね。
自分の心に素直になるということは、そう簡単なことではありませんが、回を重ねるほど、だんだんとうまくなっていくような気がしています。
七転び八起き
新年明けて、あっという間に1週間が過ぎましたね!!
今年は月曜始まりだったから、仕事モードに身体と精神を調整するのに、しんどくなかったですかぁ?
わたしの場合、それに加え、年末から新年にかけて、心にダメージというか、衝撃を受けたので、そのリカバーにかなりかかっています。
でも、それも必要で起きているのでしょうから、受け入れるしかないんですね!
きちゃったものはしょうがない!!
一時逃げられたとしても、遅れて後からやってくるか、形を変えてやってくるかどちらかですから~
その時味わった方が傷は浅くて済むのです。
修復は可能なんです。
生き返ることも可能だし、生きなおることもできる。
そして、その経験が自分を育て、免疫をつくり、似たようなことが起きた時の応じ方がだんだんとわかるようになるのです。
それが年の功というものでしょうか。
七転び八起きとはよく言ったものです(*'‐^)-☆
転ぶことは畏れずに、立ち上がり方を工夫すればいいだけなのかもね!
やすらか
究極な幸せな
心の状態のことです。
なんの心配も不安もない、
深い満足と安心感...
それを得るのは
決して難しくありません。
人々から離れ
一人になって
ゆっくりくつろげば、
世間は遠ざかり
あなたは徐々に
静寂に包まれ、
心が静まり
安らいでいきます。
葉 祥明
「しあわせ ことば の レシピ」より
トラウマ
最近、わたしは、そんな自分に「気がつく」ことが大切と思っている。
否定はもちろんのこと、頑張って肯定しようとしなくてもいいんじゃないかなぁ。
そんなことがあった、事実を認め、その時の感情を思い出す。
悲しい気もち、苦しい気もち、悔しい気もち、いろんな気もちがあったかもしれないけど、その気もちに素直になればいい。
涙が出てきたら、素直に流そう。
そんなことがあった、そんな経験をさせていただいた、ただそれだけ。
いつかもしかしたら、「おかげさま」にかわる時が来るかもしれない。
「気づき」は日常に隠れていることが多い。
日々感じる気もちを大切にしようo(^-^)o
掘り当てる・・・
「どの人の心にも美しい仏の心が内在しているものです。
掘り当てましょう。」
こんなフレーズが耳に入ってきました。
自分を覆っている鎧が厚いほど、固いほど、それは大変な作業になります。
相手に手間かけさないように、できることなら、自分で軽く、やわらかくしておきたいものです。
さて、どんなドリルが必要かしら...
掘り当てられるかしら...
宝さがしのようですね
掘り当てる...掘りやすいポイントってあるのでしょうね!
そんなところを探るのもまた、たのしい作業かもしれませんね(*'‐^)-☆
スイッチ・オンの勇気
と、ふと思い付いたことを後延ばしにすると、その日はただ過ぎていく。
時間の余裕があって、実行にうつすスイッチを押すことに勇気がいるだけだったら、思い切って押してみよう!!
スイッチを押すのは一瞬のこと。
でも、その一瞬が、自分にとって新しい流れをつくるきっかけになることがある。
その日は特別な日になる。
その瞬間から新たな流れが舞い込んでくる。
いろいろあったけど、今日もたのしい一日だったと心が満足する。
"今"が変われば過去と未来が変わる。
人生って、そんなことの繰り返し?もしかして...
傷ついたとき
これまでだったら、どうしてそんなことを言うんだろう、と相手を責めていたかもしれない...。
でも、最近、どうしてこの言葉を聞かないといけなかったのか、と自分に問い掛けるようにしている。
そっか、自分のこんな感情に気がつかせてくれるためだったのか、ありがたい、と思えたらしめたもの。
でもね、その前にしっかりその感情と向き合うことは必要だけどね(*^-')ノ
涙も流して味わいつくす。
辛さも味わい深いスパイスに変わる。
そして、いつしかそれも旨味となる。
Mちゃんありがとう★
小さな命が旅立っていった。
いつも笑顔のかわいい女の子。
重度の障碍をかかえながらも、いつも笑って明るい子だった。
おしゃべりはできなかったけど、気もちはよく通じてたね。
トントントン。
後ろを向いてると背中をたたいて呼んでくれたね。
振り向くとニコニコ笑ってたね。
ちょっといたずらもして、ひょうきんだったね。
3歳になって歩けるようになって、すごいなぁと思っていたよ。
再来週久し振りに会えるはずだったのにね...
あまりに突然で...
沢山の笑顔...想い出すのはそればっかりだよ。
いつもとびっきりの笑顔と愛をありがとうね。
命はあるだけで奇跡なんだね。
どうぞ安らかに。
今までありがとう。そしてさようなら。
お揃いの服は二度と着ない!!
昨日の昼、両親をランチに誘った。
自然と家族の話になって、後にも先にもあれほどのことはない・・・という話になる。
それは、「ソフトクリーム事件」!!
わたしが確か4、5歳頃の話だ。
そう、あれは暑い夏。
母親と姉とわたしの3人で出かけた帰り、スーパーの中に入っている店で、ソフトクリームを買ってもらった。
たのしい時間となるはずだったのに・・・
まさに食べようとしたその瞬間、姉の持っていたソフトクリームがコーンだけを残して真っ逆さまに床へ・・・。
ちょっと人にぶつかったのだ。
次の瞬間、火のついたような泣き声が店中に響きわたった。
そして、姉は泣きながら床に転がり大暴れ。
しかも、よりによって人が行き交うエスカレーターのまん前。
他人の 白い目が否応なく突き刺さる。
もうこうなったら手がつけられない。
今でも時々あるが、姉は予想外のことが起こるとパニックになる。
それが障碍といえばそうなのだが。。
この事件はわたしにもかなり衝撃的で、今でもその場面を鮮明に思い出すことができる。
しかし、今の今まで、母親に聞くまで、このことは忘れていた。
その日、わたしは姉とお揃いのワンピースを着ていたことを。
母「家に帰ってきたら、『お揃いの服はもう二度と着ない!!』って言ったんだよ。」
母「よっぽど恥ずかしかったんだね。」
父「他人になろうとしたんだな。」
『へぇ~、わたしそんなこと言ったんだぁ。 忘れてたよ。』
思いがけず、忘れていた小さなわたしに出会えたよ。
今じゃもう、笑って話せるようになったね♪
身体と精神
身体は自分の精神の状態をメッセージとして伝えてくれる。
そのメッセージもすぐに受け取れればよいが、ダメージが大きかったり、疲れきっているとそうもいかない。
まわりの情報を遮断し、感覚を刺激しないようにして、休まないといけないこともある。
精神をもちあげようと頑張ると、それはものすごくエネルギーのいる事だから、しばし休んで充電できたら、まずは身体から。
でも、ほとんど同時進行のように回復するから、何がどうなって・・・というのは説明が難しい。。
身体が動くようになると精神も回復し、精神が回復すると身体もよく動くようになる。
そうするといろいろ働けるようになるので、身の回りはきれいにすっきりするし、食事も丁寧に作れ、バランスがよくなる。 その結果、過食はしなくてすむようになる。
特に甘いものをとることで、一気に元気になろうとしなくてすむ。
頭(言葉)と感覚をバランスよく使えるといいのかもしれない。
自分の感情をそのまま自分に言い聞かせた。
思い当たる原因を分析し、それも自分に言い聞かせた。
ヨーガで深い呼吸、息を吐くことをし、全身のリンパを流した。
頭の先から足の先まで鍼灸で身体を緩めてみた。
好きな香りを焚いてみた。
ホメオパシーのレメディを適当にチョイスして飲んでみた。
なんだかそうこうしているうちに、元気になった。
パソコンも開けるようになったし、情報を取り込める状態にもなった。
人間そうやわにできていない。
想い直し、やり直しができる。
それを体得してると、少し自信がつく。
何かあってもきっとどうにかできる。
そうすると、「いい学びだった」と起きたことに感謝できるようになる。
勝手なのね・・・
そんな自分を笑えたらこっちのもん。
いろいろ味わえるのもまたいとおかし。
苦しいときに、相手を非難したり責めたり、恨んだり妬んだりすることは、損。
その想いのエネルギーは自分に返ってくる。
起こることは、実力テストのようなもの。どのくらいかわせるようになったかの、お試しなのだ。
まんまと引掛かれば落第。
なんでそのような事が起こったのかを冷静に分析し、それを自分に言い聞かせればいい。
狭いところにいればよどんで膿がたまる。
逃げれば追いかけられる。
広いところに出よう。受け入れて流そう。
できなくてもできたつもり!!
昨日より今日、今日より明日、少しずつ少しずつ。
二歩下がっても三歩進んでいればいい。
進まなくても進んだつもり!!
まだそこ・・・まだここ・・・
自分でもまだこんな精神レベルか…とがっかり。
幸い瞬間的で一日引きずることはないのだが。。
そんな時はたいてい、小さな世界でまわりに同調できず孤立する時だ。
でもそれも自分の勝手な思いこみと偏った価値観のなせる業なのかもしれない。
マザーテレサはこんなことを言っている。
「人間にとって一番悲しいことは病気でも貧困でもありません。
自分はこの世にいらない人間だと感じることです。」
昨年聴いたBr.シャーンアタムリジの言葉も思い出す。
「心を変えるのは風をつかまえようとするのと同じ。 でも、諦めてはいけない。
それができると信じること。」
そう、諦めてはいけない。“できる”と信じてみよう!!
意識を高めるには訓練も必要だ。
自分がこの世に唯一無二の存在で、沢山の愛の中に育まれていることが腹の底から実感できること、目指そう。
自分の中の負の感情も味わい尽せば、あとは手放すだけ。
どうやらわたしの中にはまだまだ眠ってそうだが、背伸びし過ぎず、蔑み過ぎず、等身大を受け止めよう。
自分育て
洗顔がおざなりになっているときは、他のこともたいてい同じ状態になっていることにはたと気付く。
歯磨きにも力が入っているし、自分の身体もぞんざいに扱っている。
何よりゆっくり呼吸ができていない。
この自分に対する強さが他の人にあたる時の強さだ。
"ごめんなさい"
休みの日のほんのひと時をしっかり自分と向き合ってみよう。
向き合うとは、そんな自分を責めるのではなく、"そうだったのね"とそのままを受け止めるだけ。
そしてやることは、とにかく今目の前のことに集中すること。
どこにいるとか、だれといるとか、一人静かな時間がもてないとか、そんなことは関係ない。
心はいつだって自由。
ゆっくりやさしくモクモクの泡を作ってみよう。
そっと髪にのせてひと呼吸おいてみよう。
そっと顔にのせてひと呼吸おいてみよう。
そっと身体にのせてゆっくりさすってみよう。
そして、静かに流してみよう。
ほらね、こんな風に自分を扱うこと、忘れてたね。
人にやさしくしてもらいたいなら、まずは自分にやさしくしてみよう。
日常の小さなさもないことを心をこめてやってみよう。
そこで気付くことが何よりの宝物。
そしたらね、起きることに、ほんとはいいも悪いもないってことに気がつける。。
